消えゆくもののそばに
このコラムを書いている今夜は、中秋の名月。
残念ながら降り続く雨で、今年は見ることができませんでした。見えないとなると、かえってその存在が気になります。
月の季節になると、ふだんより少しだけ空を見上げることが多くなります。月といえば夜ですが、明け方に月を見たことがある方も多いのではないでしょうか。夜明けの空に残る月を「名残の月(なごりのつき)」と言うそうです。
空が少しずつ明るみ、その中にうっすらと月が浮かんでいる。やがて陽が昇り、月は見えなくなっていきます。
夜の闇に煌々と輝く月とはちがい、朝の光の中の月は、見ようとしなければ見過ごしてしまいそうなほど淡い。けれど、消えようとしているからこそ、かえってその存在に目が向くことがあります。
しばらくの間、朝の空には、夜の名残とこれから始まる一日が同時にあるように見えます。
消えて、始まる

消えていく月のことを考えていたら、ふと前回のことを思い出しました。
「火を消して、香りが始まる。」
藍から空色へ、茜から濃紺へ。うつろう空や、その中に昇る朝陽や浮かぶ月を見て、私たちは朝や夜の訪れを感じ取ります。
でも、見方を少し変えてみれば、
月が消えて、昼が始まる。
陽が消えて、夜が始まる。
とも言えるのではないでしょうか。
一日は、何かが現れることだけでなく、何かが消えていくことによっても始まっているようです。
たそかれ、かわたれ

頭上にあった陽が少しずつ傾き、やがて西へ沈む。けれど、陽が沈んだからといって、すぐに夜になるわけではありません。
空にはしばらく光が残り、昼が少しだけ夜の中へ入り込んでいる。
日が暮れそうで、なかなか暮れきらないことを「暮れなずむ」と言います。その境を表す言葉には、「黄昏(たそがれ)」もあります。
黄昏は「誰そ彼(たそかれ)」。薄暗くなり、人の顔が見分けにくくなったとき、「あれは誰だろう」と問うところから生まれた言葉です。これと対になるように、明け方には「彼は誰(かわたれ)」という言葉もあります。
はっきりとは見えないのに、その存在は感じられる。
こうした言葉が残っていることを思うと、人は昼と夜をはっきり分けるのではなく、その間にある、どちらとも言い切れない時間にも心を向けてきたのでしょう。
消えるのではなく、消えながら、なお残る。
心を残す

同じようなことは、景色のほかにもありそうです。
そこにあった建物がなくなったあと。
大切な人と別れたあと。
季節が変わったあと。
目の前からはなくなっているのに、自分の中ではまだ何かが続いている。外では終わっているのに、内側ではまだ終わっていない。
茶の湯には「余情残心(よじょうざんしん)」という言葉があります。井伊直弼の『茶湯一会集』には、客を見送ったあと、亭主がすぐに片付けるのではなく、ひとり席へ戻り、炉の前でその日の一会を静かに思う心得が記されています。
何かが終わったあとにも、心をそこに残す。
余韻が、終わった出来事のほうからこちらへ残されるものだとすれば、残心は、こちらがまだその出来事から離れきらずにいることなのかもしれません。
ものは消えても、思いや感覚はすぐには消えない。
名残の月

私たちは、何かが終わると、すぐ次へ向かおうとします。けれど、終わったもののそばに、ほんの少し心を残しておく時間があってもいい。
明け方に消えていく月を惜しむように。
夕陽が沈んだあとの空を、もう少し眺めているように。
もしかしたら、そんな時間も余白なのかもしれません。
余白とは、次の何かを入れるための空きだけではなく、前の何かがゆっくり消えていくための時間でもある。
空っぽなのではなく、そこには少し前まであったものの気配が残っている。その気配に心を向ける余裕もまた、余白なのだと思います。
「名残の月」にはもうひとつ、旧暦九月十三夜の月を指す意味もあるそう。その年の月見の締めくくりとなる月です。
そういえば、今夜は十三夜。
文:清水洋平(清水屋商店)
株式会社良品計画にて「MUJIBOOKS」プロジェクトを立ち上げ、本を介した売場づくりや出版レーベル「MUJIBOOKS」による『人と物』シリーズの刊行、「つながる絵本」「本の回収」などの仕組みづくりに携わる。現在は『無印良品 くらしのラジオ』のプロデュースおよびパーソナリティを務めるほか、書籍、音声、展示、イベントなどを通して、ものごとの背景や価値を伝える企画・プロデュースを行っている。2025年には日本香堂監修の書籍『日本の香』(誠文堂新光社)の企画・進行・PRを担当。
