#10 ヒノキの森を訪ねて
海と山とがぶつかる場所、三重県尾鷲へ
Yohakuでは、アロマオイル(Hinoki、ブレンドオイルのMonk Tree)に使用するヒノキは三重県尾鷲産のものと決めています。というのは、ヒノキの産地が数多くあるなかでも、「尾鷲のヒノキから抽出したオイルの香りは透明感が高い」という調香師の判断から。
尾鷲といえば、かつては日本一といわれた降水量が多い土地。日本の平均降水量が約1600mmのところ、4000mmといわれる雨の街です。「この雨の多さが、香りにも影響しているのではないか?」という仮説のもと尾鷲を訪ねました。
まず、「尾鷲とはどんな場所?」との疑問の答えのひとつに、「熊野古道の雰囲気を残す貴重な歴史の地である」ということがありました。熊野古道とはユネスコの世界遺産にも登録された、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)と、高野、吉野とを結ぶ古い街道の総称。街道は5つあり、そのうちのひとつ「伊勢路」(総距離170Km)の一部が尾鷲の山林を通っていたのでした。
多くの街道は近代化により失われてしまいましたが、尾鷲は江戸時代の巡礼者が通った山林の石畳(徳川吉宗が紀州藩藩主だったときに整備されたとか)を今も保全、保護をして残す努力をしています。今も残る各地の熊野古道で最も美しいと言われる石畳とヒノキ林が見どころだそう。確かに石畳の参道の両脇には立派なヒノキの木立が続き、時おり石畳の上にはその枝葉が落ちていました。
この情緒ある石畳の古道をずっと歩いては行きたいけれど、徒歩で2時間45分(約5.2km)あると知って、参道入り口に引き返してしまいました。
次に向かったのが、「海山郷土資料館(旧向栄館)」。明治末期から大正初期に建てられたモダンな西洋建築で、尾鷲のヒノキ材が多用されたているとか。今では、国の登録有形文化財に指定されています。
明治末期と考えても、実に洒落た建築物。もともとは、地元の林業家である松永家が本邸の脇に建設した別館だそう。
資料館のなかにお邪魔すると、林業の歴史を伝える多数の道具や資料、写真、出土品が展示されています。私たちの目についたのが、毎年2月7日に行われる五穀豊穣を願う「山の神祭り」のための道具でした。
祭りのために杉で作られた斧、鍬。そして、顔が描かれた奇妙な木の棒。これらは、山の女神に捧げる祭事「山の神祭り」に必要な道具です。どういうお祭りなんですか? と資料館の方に聞いたところ、「オコゼでござる、ワッハッハ!」という掛け声が。
祭事の由来を聞くと、山の神と海の神が生き物の数を争ったという言い伝えがあり、海から現れた「オコゼ」で山の神が負けてしまったことから、山の神をなぐさめるため村人全員で「「オコゼは魚ではありません」と、醜い本物のオコゼを見せて笑い飛ばし、山の神を鎮めたのが始まりだそう。森の中にある祠に男性だけが集まり、懐から魚の「オコゼ」をのぞかせて大笑いする、という奇祭とも言えるお祭りです。 木材で斧、鍬を作るのは豊穣を祈って。顔が描かれた木の棒を作るのは、山の女神をおなぐさめする存在として。200年以上続く祭事のお話をうかがうと、尾鷲の林業に関わる方々の森林への畏敬を今も失っていないことを感じます。
次回、#11のテーマは「尾鷲のヒノキ林業について」。現代の尾鷲の森を守る森林組合の方をナビゲーターとし、森と海から見えてきてきたことをお届けます。
文: 柳澤智子(柳に風)
撮影:宮濱祐美子