#13 Yohakuプロダクト×クラフトマンシップ Vol.1

佐賀県・肥前吉田焼「224porcelain」

 

yohaku コラム

アロマオイルやミストを塗布するアロマストーン。ほのかに香りが立ち上り、火を使わないため、寝苦しくなるこれからの季節、ベッドサイドでも安心して使えます。

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数種の形があるアロマストーンは、茶道で使う菊炭型と卵型の開発から始まりました。デザインのエピソードはこちらから。

 

 

この先も産地として残るために
今のうちにやれることはやる


日本のクラフトマンシップとともにものづくりをするYohaku。アロマストーンは、佐賀県・肥前吉田焼の磁器ブランド「224 porcelain」に作っていただいています。

日本中にやきものの産地はありますが、佐賀のやきものの大きな特徴は、磁器が最初に作られた地を持つこと。その歴史は、豊臣秀吉の朝鮮出兵まで遡ります。朝鮮が作る美しい白磁に魅せられた秀吉は、「日本でも磁器を作りたい」と多くの陶工を連れ帰ったのです。磁器にふさわしい陶土を探すこと数年。17世紀初頭(江戸時代初期)、ふさわしい陶土が有田・泉山で見つかったことから、当時その地域を管轄していた鍋島藩の大きな事業となりました。
やきものが、江戸幕府への献上品や海外への輸出品として存在感を持ち始めるにつれて、近隣でも産地が栄えはじめます。上絵付けがさかんだった有田の赤絵町を中心に「内山」、「外山」、「大外山」と区分され、肥前吉田焼はこの大外山に位置し、有田焼同様400年以上の歴史を持つ産地なのです。

 

yohaku column 肥前吉田焼

佐賀・長崎にまたがる地域を肥前と呼び、今でも肥前吉田焼、波佐見焼など多くの窯元が残ります。佐賀県藩主の鍋島直茂は有田を中心に陶磁器製作をはじめ、陶工のひとりを吉田へ送ったとか。

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「224 porcelain」を主催する辻 諭(つじ さとし)さん。吉田皿屋地区の風情ある街並みを案内していただきました。

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大きな工場や倉庫、煙突、壁面に貼られた陶板がやきものの産地らしい。

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肥前吉田焼の発展に貢献した与山窯の4代目辻与四夫の石碑。功績と建立した関係者の名が刻まれています。

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昭和30年代まで使われていたという石炭窯。辻さんのご実家である「与山窯」の所有で、辻さんが実行委員を務める芸術祭「ひかりぼし」ではライトアップされ、特別に窯の内部も公開されます。

 

古い歴史を持つ肥前吉田焼ですが、産地としてその名を表に出して制作販売し始めたのは2000年ごろからで、わずかここ数十年のこと、と辻さん。
「肥前吉田焼は有田焼、波佐見焼の下支えをしてきた産地なんです。生産量、販売量でも遠く及びませんでした。窯や陶磁器の問屋さんでも跡継ぎがいないところもあり、このままだと産地としての肥前吉田焼がなくなるかもしれない、という危機感がありました」

「今のうちにやれることはやろうと」と、仲間とともに肥前吉田焼の魅力を伝える活動を始めます。
たとえば、「えくぼとほくろ」という窯元巡りの企画。どうしても天然の素材を用いる制作過程では生まれてしまうピンホール(小さな穴)や、生地や釉薬に含まれる鉄分により発生する黒点。使う上ではまったく問題がありませんが、「規格外品」となってしまう。これらの自然の表情を「えくぼ」「ほくろ」として、やきものの個性、魅力としてとらえるという新しい価値観を提案。共感した人は工場をめぐって行程を見学し、やきものへの理解を深め、その場で好きなやきものを購入できるというもの。「B品」「アウトレット」とはまったく違う価値観に、ほかのやきもの産地からも「名前を使わせてほしい」といわれるくらいのインパクトを生みました。

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「224porcelain」の3つある工房のうち、吉田皿屋地区にある工場では、主に焼く作業が見られます。

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やきものに携わる職人が平均年齢が60代-70代という業界において、 「224porcelain」には20-30代の職人があちこちから集まります。

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「えくぼとほくろ」の参加窯元は、現在6箇所。それぞれの窯の個性や製造過程、職人の方からお話がうかがえる貴重な機会。(事前予約:問い合わせは肥前吉田焼窯元会館へ 電話:0954-43-9411)。吉田焼の改革事業の中で始まった「吉田皿屋トレジャーハンティング」なるものも話題。これは、創業150年の老舗陶磁器問屋「ヤマダイ」の木造倉庫に眠る年代物の器を掘り出すというもの。昭和のていねいな技術により作られた器がカゴいっぱいで5000円という、まさに宝探し。

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現在、リノベーション中という3つめの工場。ギャラリーも併設しますが、自社製品を置くのではなく、技術指導している職人や作家など、後に続く世代の作品発表の場とする予定。

 

 

新しいことをやろうとすればするほど、
伝統的な技術が大切に思えてくる


吉田皿屋地区をめぐりながら、「肥前吉田焼を伝えること」をうかがいました。では、辻さんは、どのような思いで「作ること」に取り組んでらっしゃるのでしょうか。

「自分たちの仕事は、悪い言い方をすると地球を壊す仕事なんですよね。土や石を取るために山を削って、焼くときは二酸化炭素を排出する。そうした代償があるわけですから、何を作るのかをしっかり考えないといけない。大量生産の時代があって、食器棚なんていっぱいでしょう。そこにねじ込んでいくような仕事ってしたくないな、と思っていた時期もありました」

ただ、時代によって変わっていく、と続けます。

「iPhoneみたいにテクノロジーが状況を変えるというか。たとえば、光が透けるような透過性の高い土だったり、直火、電子レンジが使えるような素材は、昔はなかったんですよね。お箸しか使わなかったところ、今ではフォーク、ナイフも普通に使う。ライフスタイルが変わると、箸置きだけでなくカトラリーレストも必要になる。そういう変化にもチャレンジするのが、今の時代を生きる陶工として大事な役割なんじゃないかな」

二酸化炭素の排出量が従来より少ない土を独自開発したり、3DプリンターやNC加工(数値制御による機械加工)など最新技術を積極的に導入したりと、現代だからできるやきもののありかたがあるはず、と日々、研究する辻さん。

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嬉野市内の工場。ここでは、やきものの成形がメイン。自社製品の食器のほか、企業から依頼されたオリジナル商品など職人さんが、忙しく手を動かします。

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作るうえでは不良品を出さない、ということも大事、と辻さん。「私の会社のような小さい組織でも、月に1万個は作ってるんですよ。作る量が多いので、不良品も出てしまう。その分環境への負荷も大きい。なので、そういうところを後の世代にもしっかり伝えるようにしています」。制作途中で失敗した土は水分を加えて練り直し、また材料に戻す。

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Yohakuのアロマストーンで使われる土は、佐賀県が開発した特別な土。多孔質なため、オイルが染み込んだのち揮発しやすく、いい香りが広がります。

 

辻さんが、新しいやきものに取り組むなかで見えてきたことがふたつあるとか。

「新しいことをやろうとすればするほど、伝統的な技術が大事に思えるんです。 普遍的なことがあるんですね。
それから、"余白"の大切さ。たとえば、私はミシュランシェフや料理人の方々と一緒に、器を開発することがあるんです。器の完成って、私で終わりじゃないんですよね。その使い手であるシェフがいて食べる人がいて、完成する。そこまで考えてものづくりをすることをおもしろいと思えたんですよね。そういう意味で、自分が作ったものに余白を残すというところまで意識したのが、ここ7、8年かな」

産地を背負う葛藤のなかで生まれた、
これからのものづくりの意義。
ご自分のことを「陶工」という自負。
不易流行の精神。
そして、作り込みすぎない余白、余地。

辻さんのこうした姿勢からは、未来につながるクラフトマンシップを感じます。

 

文: 柳澤智子(柳に風)
撮影:宮濱祐美子