#2-1 余白を生む香り
中原慎一郎さんのクリエイティブディレクションと日本香堂の技術により、 新しく生まれたフレグランスブランド「Yohaku」。やすむことの必要性を知った今に求められる「余白を生む香り」とは。調香師として40年以上の経験と知恵を持つ堀田龍志さんが「画家のデッサン、料理人のレシピ」と近いものがあるという、創香のストーリーをうかがいました。
(クリエイティブディレクター中原慎一郎さんへのインタビューはこちらから)
――調香師という職業について教えてください。
香水や化粧品、シャンプーや芳香剤、お香など香りをともなう商品がありますよね。その商品のコンセプトにあった香りを作るのが調香師です。化粧品香料などを調合するパフューマーと、食品香料を調合するフレーバリストに分けられます。国家資格ではないのですが、限りなくある材料を覚え、作りたい香りを作れるようになるには少なくとも10年かかる、といわれています。
無限にある原料を組み合わせ、商品コンセプトに合う香りを調香する。できあがったフレグランスの最初に香るのがトップノート。少し時間が経ってから香るのがミドルノート。香りが消えるまでがラストノート。分子量が小さく揮発性のある原料が最初に香り、最後に分子量の大きな原料が残り香の役割を果たす。変わっていく香りをどのように表現するかもの腕の見せどころ。
――「Yohaku」の商品開発においては、どういった関わり方をされたのでしょうか?
我々はプロジェクトのコンセプトがかたまり、ある程度どんなものを作っていくか、が決まったところから参加します。今回の「Yohaku」に関しては、中原慎一郎さんから、“こういったものを今自分は考えている”とお話しがあって、見えてきたテーマに合わせて調香をするんです。
――最終的には4つのブレンドオイルとなり、それぞれ「Sunrise」「Monk Tree」「Hayes Valley」「Moon Jazz」という名前がつきましたが、その名前もない状況からの参加なんですね。
そうなんです。香りは言葉にしづらいものです。イメージフォトがあったほうが私は作りやすいので、そういったものをご提示いただきました。中原さんは、朝、午前中、午後、夜と時間をイメージする4つの香りを希望されていました。
のちに「Sunrise」と名付けられた香りは、「朝」のイメージでした。見せていただいた写真は、緑と白を混ぜ込んだような絵の具だったり、木立から立ち上がる朝もやだったり、朝日が差し込む部屋や壁の風景でした。そうした写真をもとに、私のほうで言葉に置き換えるんです。「朝もや」「清々しさ」「明るい」「空気が澄んでいる感じ」「木立のなかでちょっと空気が湿っている感じ」といったふうに。トランスレーションしながら言葉を選んで、そのイメージフォトと言葉をもとに、香りの原料選びをしてブレンドしながら段々とかたちにしていくんですね、
――イメージフォトと彷彿する言葉から、香りの原料を選ぶのですね。どのように原料にたどりつくのですか?
「Monk Tree」を例に出しますね。「Sunrise」は朝のイメージでしたが、「Monk Tree」はもう少し日が上った午前中。個人的には昼前くらいまでの印象かな。色でいうと「Sunrise」が緑、朝もやの白に対して、山吹みたいなイメージです。
「Monk」は中原さんのほうで最初からキーワードとして使いたい、という希望がありました。僧侶という意味ですよね。イメージフォトのなかには、墨絵があって。炭は僧侶の世界と共通する部分がありますし、落ち着き、安定、そんな言葉を彷彿しました。安定、僧侶からイメージしたのが、西洋でしたら牧師がいる寺院。東洋だったらお坊さんとお寺。いずれにしても神聖な場所だということ、落ち着きを感じる場所だということがあったので、ウッディな香りを柱にして、香りを作っていくことがテーマにふさわしいのではないかと考えました。
そこで、最初に香るトップノートに選んだのが、フランキンセンス。キリスト教の世界ではミサの時に神父さまが銀の容器に入れて燃す樹脂、乳香として知られていますね。そういった香りをしのばせることで、落ち着き、神聖さというものを表せるかな、と。
「Monk Tree」のトップノートはベルガモット、フランキンセンス。ミドルにはゼラニウム、ヒノキ。ラストにはセダーウッド、サンダルウッド。「広がりと穏やかな心地よさのあるウッディ調の香りに、神聖なフランキンセンスとヒノキ、やさしいフローラルな香りをブレンドしました」(堀田さん)
――「Monk」→僧侶→神聖→フランキンセンスと、連想ゲームのようですね。
調香師のやり方なんですけどね。香りは目に見えないものなので、コミュニケーションをとるのが難しい。よく使われるのが、ビジュアルと言葉です。いくつも出してもらうと、どういうものを作っていきたいのかが想像できる。そうすると、自分たちには頭のなかに辞書がありまして。こういう言葉、こういうイメージ、こういうものを作るんだったら、多分こういう原料群でできるんじゃないかとトランスレーションするんです。
――その「辞書」は、調香師共通の認識なんでしょうか?
共通もありますが、自分なりの単語もあります。人によっては“落ち着き感”を表す原料も違う。私は木の香りでしたが、ほかの方だと違う材料を使うこともあるでしょう。日本人でもそうでなくても、ある程度シェアできる感覚なのかな。ただ、海外の調香師の方は、日本人の我々が想像もつかないような発想をされる方がいるんですよね。生い立ちや文化、食生活などいろいろな背景が違うので。それがおもしろいんですよ、こんな材料をこのために使ったのか!とかね。
逆に、彼らからすると繊細な感覚というのも興味があるようですね。
――「Yohaku」は日本だけでなく、アメリカや欧州でも販売する予定です。国外の方にも受け入れられる工夫はあったんでしょうか?
そうですね。そういう意味もあって、フランキンセンスはキリスト教圏の方には馴染みがありますよね。先ほど木の香り、とお話ししましたけど、さらに「Monk Tree」のラストノートとして使っているのはセダーウッド、つまり杉です。セダーウッドは、国内、国外かかわらず多くの人になじみのある香りなんです。そうしたインターナショナルに通用する香りと、精神性、神聖さを表現したいということで、ミドルノートにヒノキを取り入れているんです。
伊勢神宮の建物や神棚は、すべてヒノキですよね。能や歌舞伎の舞台も基本的にヒノキです。日本人にとっては神聖さを感じてもらいながら、ヒノキは日本にしかない木なので、海外の方には新鮮に感じてもらえるのではないかと思います。
――そうして原料がそろっていくんですね。ですが、それをどのようにブレンドしていくのか想像がつきません。
これとこれを混ぜるとこういう香りがする、というのは経験値としてわかっているんですよ。実際にブレンドしたこともありますし、ブレンドしなくてもこういう感じだろうなというのもわかります。料理みたいなものでしょうか。ここに胡椒をいれて、砂糖を加えて、みたいな。なんどかトライアンドエラーしながら、バランスをとって自分の思うような方向に持っていく。なにかおもしろい原料がないか探すこともあります。そういうことをくりかえしながら、完成を目指すんです。「Monk Tree」の場合も、資料にはフランキンセンス、ヒノキ、セダーウッドとありますが、隠し味としてハーブ由来の原料を入れたりもしているんですよ。
堀田さんの資料より。落ち着きや安定を表現するにはヒノキを使う、など独自の解釈が多々ある。オイルとミストスプレー2つのアイテム開発をしたため、同じ香りでも原料の含有率も変える必要があった。
――「隠し味」というのが興味深いですね。「Sunrise」では、朝もやというキーワードがありましたが、そのニュアンスはどのような材料を使ったのですか?
明るい朝らしさには、トップノートに和ハッカを。和ハッカは、西洋のペパーミントに比べてシャープなさわやかさがあります。清々しさを感じていただくには、和ハッカがふさわしいだろう、と考えました。レモンとベルガモットも大胆に使っています。 湿ったような朝もやの感じを出すのには、ミモザを使ったんです。ミモザってぼんやりとした甘い香りがするんですよ。クリアではない甘さというか。蒸気がぐっとあがっていく森の温もり感をミドルノートにミモザで表現できたらな、と取り入れました。
――嗅いだだけではとうていわからない材料名や、それらが選ばれるまでのストーリーを知ると、商品がさらに奥行きのある多面的な存在になりますね。 「Hayes Valley」「Moon Jazz」の開発については、次回に続きます。
○ #2-2へ続く
Profile
1975年大手香料メーカー入社。1981-82年パフューマーとしてフランス、ドイツ、アメリカなどで研修、1994年海外大手メーカーの日本支社に転職。1998年資生堂研究所香料研究室入所。香料研究室の室長や主任調香師として香りの開発に従事。2017年4月日本香堂入社。現在まで研究室に在籍し各種製品用の香料開発を担当。フランス調香師会正会員、公益社団法人日本アロマ環境協会顧問、日本調香技術普及協会名誉理事を務める。
インタビュー・文: 柳澤智子(柳に風)
撮影協力: TOKYO CRAFT ROOM